お店でよくある質問 その2~お店の場所に秋葉原を選んだ理由 Part1~


こんにちは、ご機嫌いかがですか?

梅雨入りしましたね。
快適とはちょっと言い難い毎日が続くかもしれませんが、せめてお店の中だけは快適に過ごしていただけるよう工夫していきたいと思います。

さて、本日の私のブログは前回に引き続きましてお店でよく受けた質問について書いていきたいと思います。

今回は『お店の場所に秋葉原を選んだ理由』です。

秋葉原にこういったオーセンティック・バーができたことがよほど珍しいのか、やはりこの質問もたくさんのお客さまからお受けします。

秋葉原との「出会い」まで含めるとかなり長い話になってしまいます。
ですが、せっかくブログという形でしっかりと文章に残せるので全て書いてしまおうと思います。
なのでブログを分割して話していきたいと思います。
今回は「Part1」です。

私と秋葉原との繋がりはだいぶ昔にまで遡ります。
私は千葉県市川市の生まれで、今も千葉市に住んでいます。
千葉県外に住居を移したことはいちどもありません。
ですが私の父親が秋葉原に本社のある企業に勤めていたこともあり、幼い頃から父の休日出勤の時などによく秋葉原に連れて来られました。
父の会社の1階には昔、喫茶店がありまして、そこで飲食させてもらえるのが楽しみでしたね。
だから幼い私にとって秋葉原はけっこう「楽しい場所」と認識していました。
それからずっと何かあるたびに私は秋葉原に連れて行ってもらってたので、自然と「都内に出るなら秋葉原」という感覚が染みついていきました。電車で行くにしても「JR総武線」一本で行けるので秋葉原は私にとっていちばん身近な「東京」でした。

高校は都内にあったので3年間毎日秋葉原駅から山手線に乗り換えていました。
当時は音楽にのめりこんでいたので、レコードやCDを買いによく途中下車してたものです。
石丸電気の2号店やレコード館でよく買い物していました。
石丸電気は10%の金券を付けてくれたし、ポスターも必ず付けてくれるのでお気に入りのショップでした。
今ではカラオケの「パセラリゾーツAKIBAマルチエンターテインメント」とたしかカプセルホテルの「安心お宿 秋葉原店」になっていますよね。
若い頃の思い出のお店がなくなってしまったので少し寂しいです。

大学4年間も御茶ノ水駅乗り換えだったので秋葉原駅には頻繁に途中下車していました。
社会人になっても秋葉原駅はずっと通過駅だったので寄るのは相変わらず。
そのあいだに秋葉原はどんどん変わっていきました。
幼いころは怪しいジャンク屋とか半田ゴテのイメージだったのに、無線→パソコン→ゲーム→そしてアニメとメイドさんの街へ。。。
駅前もバスケットコートやスケートボード&ローラーブレード場になってた時期もありましたね。
秋葉原デパートで決して美味いとは言えないラーメン食べたり、アイスクリーム食べてたり(笑)。

秋葉原はどんどん変化していきましたが、不思議とその変化に付いていっている自分がいました。
ラジオや無線、オーディオに興味持ったり、パソコンやゲームに夢中になったり、そして今はメイドカフェ行ったり、アニメのブルーレイ買ったり(笑)。

秋葉原はいつも変化している街ですが、その根底にあるものは常に「マニアック」であることだと思っています。
自分の趣味もまるでこの街の変化に合わせるかのように変わっていき、結果私にとって秋葉原という街は「いつでも楽しさを与えてくれる場所」となっていました。

そして何よりも大きいのは自分の父親が働いていた街であるということです。
忘れものを届けに行ったり、お酒が飲めるようになったら一緒に飲みに行ったりもしました。
待ち合わせはいつも昭和通り口で、昔、昭和通り口改札を出てすぐ左横に「橘家」という焼き鳥屋さんがあって、よくそこに連れて行ってもらったものです。
そこは「一見さんお断り」のお店で、店主さんが知らないお客さんが来るとガラガラなのにそのまま入れずに返していたのには驚きました(笑)。
私は超常連の父親の息子ということで、随分とよくしていただきました。

父親は今から10年前に亡くなりました。
当時56歳、まだまだ現役で相変わらず秋葉原に通勤してもいましたので突然私たち家族はその見馴れた日常を失った気がしました。
「秋葉原に行けばいつでも父に会える」
しばらくは秋葉原駅を通過するたびにそんな気持ちになっていたものです。

父は恰幅がいい見栄えのせいか、よく酒豪と誤解されていました。
父もそれをあえて否定はせず、外では無理をして飲んでいたようですが、自宅とか家族での外食のときは飲んだ姿を見ることはほとんどありませんでした。
外では誤解されたままでしたので、お中元やお歳暮、海外旅行のお土産など、よく高級なお酒を貰っていましたが、自分では飲まないので挨拶に来た部下の方などに気前よくプレゼントしていました。

父が亡くなったあと、まだまだ処分しきれなかったお酒のボトルがたくさん見つかりました。
私はそれらのボトルを母から貰い受けました。
そしてお店を造ったときにそれらのボトルを「非売品」として棚に飾ることにしました。

棚を正面から見ていちばん左の上段、
そこに並んでいる古いボトルたちが私の父親が持っていたものです。

私のお店に神棚とかはありませんが、私にとってはそこが神棚のようなものであり、気持ち的に辛い時は時々その棚を眺めながら自分を励ましたりもしています。
父が見守っていてくれていることを信じながら。。。

あー、まだ「Part1」なのに長くなってしまいました(>_<)

「Part2」に続きます!