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店名の由来の真相

こんにちは、ご機嫌いかがですか?

マスターのブログ、新年1発目と本当に、本当に久々の更新です(>_<)
筆不精なんです、どうか勘弁してやってください。。。

さて、今回は皆さまにお話ししなければならないことがございます。

私、このブログで一部嘘をついておりました。本当に申し訳ございません。

以前、こちらで
『お店でよくある質問 その1~店名の由来~』
というタイトルで、お店でよくある質問として“Bar Sekirei”という店名の由来についてその回答を書かせていただきました。

私の干支が今年の干支である「酉」だから鳥の名前にしたとか日本書紀が何たらとか尤もらしいことをズラズラと書いてしまいましたが、実は真相は最後のほうで煙に巻いていた、

アニメ『セキレイ』から取りました!

別に恥ずかしいから言わなかったわけではございません!
「店名はアニメのセキレイが大好きだからそうしました!」って公然と言ってしまったら、もしかしたら作者の方に怒られるかもしれないと少し心配したのです。。。
だから今までいかにも尤もな理由を創っておりました^^;

でもその心配がなくなりました^^

なんと、去年の9月に「セキレイ」の原作者である極楽院櫻子先生がご来店されたのです!
何でもTwitterで当店の名前を目にしていただき、ずっと気にかけていただいていたそうなんです。
最初は店名の由来が果たして先生自身の作品名からとったものなのか確信が無かったので来店しようかどうか迷っておられたそうなのですが、お知り合いを通じて当店の公式サイトを見、私が「セキレイ」の大ファンであることを知ってこのたび行ってみようとご決心されたそうです。

目の前のお客さまが憧れの極楽院先生と知った時はもう心臓が爆発するかと思いました。
努めて平静を装ってはおりましたが、内心はアワアワでございました(笑)。

改めて私の口から「セキレイ」の大ファンであること、店名はまさにその先生の作品名から付けたことを熱く語らせていただいたところ、なんと先生は怒るどころかとても喜んでいただいたのです。
そしてサインまでいただいてしまいました!
まさに感激の極みでございました。
現在も店内のいちばん相応しい場所に飾らせていただいております。

極楽院櫻子先生のサイン

アニメ「セキレイ」第1期の放映開始は2008年(平成20年)でしたが、私はたしか2010年4月頃の再放送から見たと思います。
私は「セキレイ」を漫画からではなく、アニメで初めて知りました。
ちょうどその頃バーテンダーとしての勉強や独立の計画を踏まえ、何と言いますか、期待もあったのですがそれ以上に大きな不安も抱えた日々を送っていました。
そんな時に、「セキレイ」が再放送され、偶然目にすることとなりました。
ストーリーも私好みでとても良かったのですが、とにかく印象に残ったのが主題歌で、歌詞の内容といい、力強いメロディといい、当時の私にはこの上なく元気づけられた曲で一発で大好きになりました。
いつも移動中にはこの曲を聴いていて、元気のない時などはこの曲にだいぶ勇気づけられていました。
今でも間違いなく、私の「ラッキー・ソング」のひとつです。

自分にとってパワーと幸運をくれる作品だったので、もし、今後自分がバーテンダーとしてお店を持つことができたら、お店の名前は「セキレイ」にしょうと決めていました。
これが店名の本当の由来です^^

極楽院先生にもその思いを伝えることができましたし、これで堂々と本当の由来を皆さまにもお伝えすることができます^^

私は「セキレイ」のキャラクターの中では月海が大好きです。はい、2次元嫁のひとりです(笑)。

とてもタイムリーなことにフィギュアメーカーのオーキッドシードさんから月海のフィギュアが今月発売予定です。素晴らしい出来です。3個は買います(笑)。で、お店に1個飾ります^^

夢がありまして、いつかキチンと公認取って「月海」という名のカクテルを創ってみたいですね。
ですが、想い入れが強過ぎて、「鶺鴒」,「月海」と名前の付くカクテルはそうそう気軽に創ることができません。
いつか自分のバーテンダーとしての集大成として自信がついた時に実現できればいいかなと思っています。
お店を代表するカクテルにしたいです。

・・・・・・・・・・・

さて、今回のブログはここまでの筈だったのですが・・・・・、

なんと、極楽院先生のブログでトンデモナイ記事を発見してしまいました!

当店のことを取り上げてくださっているではないですか!→コチラ

しかもバーテンダー姿の「焰」がいるではないですか!
ウチの店長として即採用させてください。お願いします。

極楽院先生、ご来店誠にありがとうございました!
お忙しいとは思いますが、またお気軽にお越しください。再会の日を楽しみにしております。

※極楽院櫻子先生の新作「ブレイブスター☆ロマンティクス」が『ヤングガンガン』にて連載中,単行本第1巻が発売中です。
「セキレイ」は全18巻が発売中となっています。先生の描くキャラクターたちが大好きな店主のおすすめ!ぜひ読んでみてくださいませ^^

お店でよくある質問 その2~お店の場所に秋葉原を選んだ理由 Part3~

意外にこのネタ、長くなってしまいました^^;
すいません、『お店の場所に秋葉原を選んだ理由』の「Part3」です。

当時の私にとって前例のない秋葉原で出店するということはギャンブルでしかありませんでしたが、何かそういったギャンブルをしてもいいと思えるぐらいの、背中を押してくれるようなことはないものかと思っていました。

そんな時に私はTwitter上であるつぶやきを発見します。
“秋葉原にバーが欲しい。萌え萌えなバーではなくて、腰を据えてアニメやゲーム業界について語れるような落ち着いた雰囲気のバーが。”
といった内容だったと思います。
このつぶやきに対し賛同するリツイートが何件かついていることに気が付きました。その中には大手の秋葉原情報サイトも含まれていました。

「もしかしたら、わずかながらでも需要は産まれているのではないか?」
なんとなくそう思える内容でした。
そして、ちょうどその頃秋葉原でテナント募集の物件を見つけます。
当時は普段から秋葉原に行くたびに散歩がてら物件がないかと歩き回っていました。
そこへひとつの物件に目が止まりました。
昼なのに人通りも少なく、どう見ても商売するのには向いている物件とは思えなかったのですが、オーセンティック・バーだけという視点であらためて見てみた場合、何か光って見えるものがありました。

そこで、バーのインテリアデザインにおいては長いキャリアを誇る先生に実際に現地に来てもらい、その結果意外なほどに高い評価を得ることができました。あまり空き物件の出ない秋葉原において、これはまさに天命かと思いました。
自分にとっては最適な物件が見つかり、わずかながらの需要を感じられるようなツイートも見ました。
なんと私はたったこれだけのことで未開だった秋葉原の出店を決意するに至ったのです。
成功するなんの正当な根拠もない、まさにこれは大きな「ギャンブル」でした。
当然、決意を告げてもまわりは相変わらず「反対」でした。
しかしながら最後は私の熱意に押しきられる形で了承してくれました。このことは本当に感謝しています。
今までオーセンティック・バーのなかった秋葉原に初めてお店を造るのだから自分が先駆者になってやろう、秋葉原を熟知した自分がダメだったら他に誰がやっても成功しない、という意気込みで周囲を説得しました。

2011年4月のオープンをめざし、その年明けから準備に動きました。
ところが、ここで大きな障害が発生します。
それが東日本大震災でした。
これは準備していた私にとって大きな打撃でした。
世間的にとてもお酒を飲むような状況にはしばらくならないだろうと思い、いったん全てを白紙に戻しました。
どうしてこんな大事な時にこうなってしまったのか、運の悪さを呪いました。
ですが、ここで私は秋葉原の底力というかパワーをあらためて知ることになります。

震災直後であっても秋葉原には限定品などを買い求める人たちの行列ができ、消費に陰りがあまり見えませんでした。
確かに節電のためエレベーターやエスカレーターが止まったり、派手なビルの電飾が消えてしまっていたりしてそういう点では街全体に元気がなかったかもしれません。
ですが、秋葉原に訪れる人たちの顔を見るとそんなに悲壮感は感じられなかったのです。いや、むしろ元気というべきでしょうか。
このことに少々呆れたりもしましたが、その一方でとても頼もしくも感じられました。
その時に「秋葉原はなんてパワーのある街なんだろう」と再認識させてくれたのです。
5月のゴールデンウィークになると秋葉原はほぼ元の元気さを取り戻していました。
そこで私は白紙に戻していた出店準備を再開することにしたのです。

秋葉原という街にはいつもパワーをもらっている気がします。
最近「シャッター商店街」とかが社会問題になったりしていますが、秋葉原という街にはそんなマイナスの雰囲気が一切ありません。
この街で商売しているだけで元気をもらえる気がします。
それもお店の場所に秋葉原を選んだ大きな理由です。
私にとっては秋葉原という街全体が「パワースポット」であり、そしてここに訪れる「秋葉原の住民」たちがとても好きなのです。

オーセンティック・バーも「カウンター業」なのでお店に訪れるお客さまとの距離はどうしても近くなります。
銀座のバーではお客さまとの会話は時事ネタをはじめ政治、経済、株価の話しばかりでしたが、正直私には退屈でした。
しかし、モンスターハンターやタイバニやまどか☆マギカの話しなら何時間でも出来てしまいます(笑)。
やはり商売をするなら、自分の好きな土地、好きなお客さまが多く集まる場所でやったほうが有利だと思っています。
おそらくオーセンティック・バーのバーテンダーで、今秋葉原でそれが出来るのは自分だけだと思っています。
そのぐらいの自信と、秋葉原でずっとやり続けるんだという覚悟、そして開拓者としての誇りをもってこの土地でやらせていただいております。

秋葉原という街は常に変わり続けている印象があります。
5年も経つとお店が変わっていたりして周囲の雰囲気が一変することがあります。きっと、今から5年後もだいぶ変わってしまうのでしょう。
そんな街でひとつの商売をずっとやり続けていくというのはもしかしたらとても困難なことなのかもしれません。
初期費用をあまりかけず、すぐに撤退できるような商売が秋葉原では特に多いというのも特徴かもしれません。
しかしながら、オーセンティック・バーは容易に撤退することができません。10年後、20年後もやり続けなければならないお店です。
潮の流れにたとえれば急流であろう、この秋葉原であえてオーセンティック・バーをやることの意味は、「変化があたりまえの街であえて不変を創る」というチャレンジ精神に他ならないと思います。

たとえばひとりのお客さまが環境の変化で秋葉原から5年間離れてしまったとします。5年後秋葉原に戻ってみるとおそらく記憶していた景色とだいぶ違っているかもしれません。
でも、そんな時に“Bar Sekirei” だけはいつも変わらぬ灯りを点している、自分が秋葉原に戻ってきたことを実感させホッとさせてくれる、そんな場所であり続けたいと考えています。
航海に出た船がいつ戻ってきてもいいように常に灯りを照らす秋葉原の「灯台」であるべきだと思っています。

正直、オープンから3年経った現在でもオーセンティック・バーに通うお客さまが満足のいくほど増えたかというと、それはまだまだだとしか言えません。相変わらずとても少ないお客さまを相手にしているのが現状です。今後もこの厳しい状況は続くかと思います。
それでも、

「大好きな秋葉原でバー文化を根付かせる」

先駆者の使命として、これからもこの街でやっていきたいと思っています。

Part3にまでわたった今回のブログを読んでいただき誠にありがとうございました。

次回のブログのテーマは特にありませんが、他に何か質問してみたいことがありましたら気軽にお問い合わせフォームにてお書きくださいませ^^

お店でよくある質問 その2~お店の場所に秋葉原を選んだ理由 Part2~

こんにちは、ご機嫌いかがですか?

前回の更新に引き続きまして、『お店の場所に秋葉原を選んだ理由』の「Part2」としてお話ししていきたいと思います。

「Part1」では、秋葉原で働いていた父との思い出や高校生以降、頻繁に秋葉原に出入りしていたことをお話ししました。

サラリーマンや個人事業を辞め、バーを経営しようと決意した時にお店を出す場所について考えた結果、やはり自分には「秋葉原」しかないと思いました。
もちろん、現在住んでいる千葉市や実家のある市川市での出店も考えました。ですが、一時期短いあいだでしたが千葉市のバーに勤めたことがあり、そこでの経験から直感的に「このエリアは自分にとって住むためのエリアでバーを経営するような場所ではない」と思いました。
たしかに夜中の商売ですので、地元の通勤の便利さはとても魅力的だったのですが、どうしてもここで勝負する気にはならなかったのです。
「商売するなら都内がいい。」
かなり偏った考え方だったと思いますが、その点にこだわり考えてみた結果、自分が唯一「ホーム」だと思える都内、秋葉原で独立することしか考えられなくなりました。

もちろん「Part1」で書きましたように、ここで商売すればピンチになったとしてもきっと亡くなった父が護ってくれるんじゃないかというちょっと非現実的な理由もありました。
亡くなって10年以上も経つ父の影響も既にこの街にはあるはずもありません。父の人脈を頼ることも不可能な状況でした。
それはあくまで迷信的に近いものでした。
しかし、それでも私は秋葉原に賭けてみたい気持ちがありました。ここでダメなら私はきっとどこに行っても成功はしないだろうと思いました。

そんな不確かな根拠のもとに私は秋葉原での独立に向けてリサーチを開始しました。
ところが調べれば調べるほど秋葉原でオーセンティック・バーをやってはいけないという根拠ばかりが出てくるのです。
電気街はオフィス街でもあるのに、なぜこれまでオーセンティック・バーが無かったのか、、、答えは容易に想像できます。
やってもすぐに潰れるからなのでしょう。
そう。需要があるとはとても思えないのです。

これまで電気街は「夜の早い街」でした。
ビジネスマンや買い物客が多く、昼の人口は非常に多くてもお店の閉店や退勤時間が過ぎるとあっという間に街から人が居なくなってしまうのです。昔からそういうイメージがありました。
夜中に街を歩いてみるとほとんど人を見かけることはなく、まるでゴーストタウンのようでした。
言うまでもなく、バーの営業時間は深夜がメインとなります。夜の人口が極端に少なくなる電気街にオーセンティック・バーを出すことはあまり考えられないことでした。

また、秋葉原をよく利用する人たちの「価値観」というものも不安材料でした。オタクの街としても有名な電気街に通う人たちが、果たして1杯に高い付加価値を付けるオーセンティック・バーに価値を見出してくれるのかどうか、考えれば考えるほど悲観的にならざるをえませんでした。

まわりに意見を聞いてみたらほぼ全ての人が秋葉原の出店について反対しました。
「秋葉原でオーセンティック・バーなど成功できるわけがない。」
「なぜ、どうせ独立するならオーセンティック・バーの文化が根付いた街でやろうと思わないのか?」
母親や弟にも最初は猛反対されました。
そしてリサーチを重ねれば重ねるほど私は弱気になっていました。
「やはり秋葉原ではダメなのか・・・」と。
けれど、どうしても私は秋葉原でやってみたい、、、
その思いだけで、わずかでも希望がないのか、何かそういった反対意見をひっくり返すような根拠が見つからないか、しばらく探す日々が続きました。

そんな中、どう考えても秋葉原の出店について背中を押されているとしか思えないできごとが続きました。
それにより、最終的には人生を賭けたギャンブルを行うことになるわけです。

なんとまあ、まだまだ書ききれません^^;
申し訳ありませんが「Part3」に続かせていただきます。

お店でよくある質問 その2~お店の場所に秋葉原を選んだ理由 Part1~

こんにちは、ご機嫌いかがですか?

梅雨入りしましたね。
快適とはちょっと言い難い毎日が続くかもしれませんが、せめてお店の中だけは快適に過ごしていただけるよう工夫していきたいと思います。

さて、本日の私のブログは前回に引き続きましてお店でよく受けた質問について書いていきたいと思います。

今回は『お店の場所に秋葉原を選んだ理由』です。

秋葉原にこういったオーセンティック・バーができたことがよほど珍しいのか、やはりこの質問もたくさんのお客さまからお受けします。

秋葉原との「出会い」まで含めるとかなり長い話になってしまいます。
ですが、せっかくブログという形でしっかりと文章に残せるので全て書いてしまおうと思います。
なのでブログを分割して話していきたいと思います。
今回は「Part1」です。

私と秋葉原との繋がりはだいぶ昔にまで遡ります。
私は千葉県市川市の生まれで、今も千葉市に住んでいます。
千葉県外に住居を移したことはいちどもありません。
ですが私の父親が秋葉原に本社のある企業に勤めていたこともあり、幼い頃から父の休日出勤の時などによく秋葉原に連れて来られました。
父の会社の1階には昔、喫茶店がありまして、そこで飲食させてもらえるのが楽しみでしたね。
だから幼い私にとって秋葉原はけっこう「楽しい場所」と認識していました。
それからずっと何かあるたびに私は秋葉原に連れて行ってもらってたので、自然と「都内に出るなら秋葉原」という感覚が染みついていきました。電車で行くにしても「JR総武線」一本で行けるので秋葉原は私にとっていちばん身近な「東京」でした。

高校は都内にあったので3年間毎日秋葉原駅から山手線に乗り換えていました。
当時は音楽にのめりこんでいたので、レコードやCDを買いによく途中下車してたものです。
石丸電気の2号店やレコード館でよく買い物していました。
石丸電気は10%の金券を付けてくれたし、ポスターも必ず付けてくれるのでお気に入りのショップでした。
今ではカラオケの「パセラリゾーツAKIBAマルチエンターテインメント」とたしかカプセルホテルの「安心お宿 秋葉原店」になっていますよね。
若い頃の思い出のお店がなくなってしまったので少し寂しいです。

大学4年間も御茶ノ水駅乗り換えだったので秋葉原駅には頻繁に途中下車していました。
社会人になっても秋葉原駅はずっと通過駅だったので寄るのは相変わらず。
そのあいだに秋葉原はどんどん変わっていきました。
幼いころは怪しいジャンク屋とか半田ゴテのイメージだったのに、無線→パソコン→ゲーム→そしてアニメとメイドさんの街へ。。。
駅前もバスケットコートやスケートボード&ローラーブレード場になってた時期もありましたね。
秋葉原デパートで決して美味いとは言えないラーメン食べたり、アイスクリーム食べてたり(笑)。

秋葉原はどんどん変化していきましたが、不思議とその変化に付いていっている自分がいました。
ラジオや無線、オーディオに興味持ったり、パソコンやゲームに夢中になったり、そして今はメイドカフェ行ったり、アニメのブルーレイ買ったり(笑)。

秋葉原はいつも変化している街ですが、その根底にあるものは常に「マニアック」であることだと思っています。
自分の趣味もまるでこの街の変化に合わせるかのように変わっていき、結果私にとって秋葉原という街は「いつでも楽しさを与えてくれる場所」となっていました。

そして何よりも大きいのは自分の父親が働いていた街であるということです。
忘れものを届けに行ったり、お酒が飲めるようになったら一緒に飲みに行ったりもしました。
待ち合わせはいつも昭和通り口で、昔、昭和通り口改札を出てすぐ左横に「橘家」という焼き鳥屋さんがあって、よくそこに連れて行ってもらったものです。
そこは「一見さんお断り」のお店で、店主さんが知らないお客さんが来るとガラガラなのにそのまま入れずに返していたのには驚きました(笑)。
私は超常連の父親の息子ということで、随分とよくしていただきました。

父親は今から10年前に亡くなりました。
当時56歳、まだまだ現役で相変わらず秋葉原に通勤してもいましたので突然私たち家族はその見馴れた日常を失った気がしました。
「秋葉原に行けばいつでも父に会える」
しばらくは秋葉原駅を通過するたびにそんな気持ちになっていたものです。

父は恰幅がいい見栄えのせいか、よく酒豪と誤解されていました。
父もそれをあえて否定はせず、外では無理をして飲んでいたようですが、自宅とか家族での外食のときは飲んだ姿を見ることはほとんどありませんでした。
外では誤解されたままでしたので、お中元やお歳暮、海外旅行のお土産など、よく高級なお酒を貰っていましたが、自分では飲まないので挨拶に来た部下の方などに気前よくプレゼントしていました。

父が亡くなったあと、まだまだ処分しきれなかったお酒のボトルがたくさん見つかりました。
私はそれらのボトルを母から貰い受けました。
そしてお店を造ったときにそれらのボトルを「非売品」として棚に飾ることにしました。

棚を正面から見ていちばん左の上段、
そこに並んでいる古いボトルたちが私の父親が持っていたものです。

私のお店に神棚とかはありませんが、私にとってはそこが神棚のようなものであり、気持ち的に辛い時は時々その棚を眺めながら自分を励ましたりもしています。
父が見守っていてくれていることを信じながら。。。

あー、まだ「Part1」なのに長くなってしまいました(>_<)

「Part2」に続きます!

お店でよくある質問 その1~店名の由来~

こんにちは、ご機嫌いかがですか?

当店のWebサイトも段々内容が増えてまいりました。
昨日もオフを利用しまして、このサイトやTwitter、Facebook、mixiなどの更新を行っておりました。
なんだかWebサイトが完成すると気持ち的にやる気が出てきますね^^
SNSも大事ですが、やはりWebサイトは情報発信活動の根幹なんだなって改めて思います。制作して本当によかったです。

昨日の更新作業もそうだったのですが、最新の情報だけでなく過去に行ってきた情報についてもアップしております。
こちら側の記録的な意味合いもあるのですが、過去に実施された「イベントレポート」など、今後イベントに参加するうえでの参考になる記事をアップしておりますので、ぜひご参照いただきたいと思います。

さて、本日は前回の更新で予告したとおり、「お店でお客さまからよく質問されたこと」について書いていきたいと思います。

今回は『店名の由来』についてです。

お店の名前については本当によく質問されます。
お店がオールド・ブリティッシュな雰囲気なのになぜ和名っぽいカンジにしたのか、など。
なので、今回はこのことについて説明させていただきます。

店名についてはお店を準備するかなり前から2つの候補に決めていました。
ひとつは『Mind Trick(マインド・トリック)』。ひとつは『セキレイ』です。

『Mind Trick』はイギリスの人気ジャズ・シンガー、「ジェイミー・カラム」のヒット曲の名前であり、今でも私は彼の大ファンです。
店の内装をオールド・ブリティッシュにしたいと思っていたこともあり、彼がイギリス人、そして言葉自体も意味深でなんだかシャーロック・ホームズをも連想させるような感じがしたので最適なんじゃないかと思いました。そして何よりも私はこの曲が大好きで、「マインド・トリック」という言葉の響きも心地よく感じられたからです。
実はこの曲はお店のBGMリストにも入っています^^
ジャズというよりはポップスに近い曲、明るくてハッピーになれるような曲です。よかったら聴いてみてください。

あ、いけない!別にジェイミー・カラムについてお勧めする記事じゃなかったですね^^;

あと、もうひとつの店名候補『セキレイ』についてです。
私の干支が「酉」ということもあり、何か鳥の名前を付けてみたらどうかと考えていました。
お店が洋風ですから横文字ばかり考えていたのですが、どれもしっくりときません。
いろいろと調べていくうちにふと「鶺鴒(せきれい)」という名前の鳥に目が止まりました。
「そうか、普段町でよく見かけるあの鳥は鶺鴒というのか・・・」
そんな好奇心から調べていくうちにいろいろ興味深いことが分かりました。
日本神話にも登場すること、オシエドリ(教鳥)コイオシエドリ(恋教鳥)など多くの異名を持っていること。
人と人との縁を取り持つような異名もあり、それはまさにお客さまとの距離が近く、出会いを大切にするカウンター業に適しているのではないかと思いました。
そして、この名前がいちばん魅力的に感じたのは「言葉の響き」です。
濁音や半濁音がなく全て「清音」で構成されているのがなんとも上品で女性にもウケがいいのではないかと思いました。
そして、全て清音だからこそ和名でありながらどこか無国籍っぽい神秘的なカンジがしたのです。
これならお店の雰囲気が洋風でも意外に馴染むのではないかと思いました。

開店準備当初から私はこの2つの店名候補をインテリア・デザイナーの先生に伝えていました。
先生は最初からきっと店名は「Mind Trick」になるだろうと思っていたそうです。ご自身が内装をデザインしていたのですから、きっと「Mind Trick」という看板が付くほうが容易に想像できたのだと思います。
しかも、先生自身がけっこう気に入ってたそうなんですね。
それが最終的には「セキレイ」に決まったわけですから、その報告をした途端、ビックリされていました(笑)。
けれど、しばらくして先生と再会したときに「最初は違和感あったのだけど、名前が4文字でシンプルだし覚えやすいので、今ではこちらのほうがいいと思えてきました」と仰っていただけました^^

「セキレイ」の表記については漢字「鶺鴒」だとなんだか高級スナックみたいだし、ひらがな「せきれい」だと今度は町のスナックみたいだし、カタカナ「セキレイ」では・・・・・、あ、後ほど説明します(笑)。
ということで、結果的にはローマ字表記の「Sekirei」となりました。
やはり洋風なお店の雰囲気に横文字表記はしっくりときますし、表記については迷うことなくすんなりと決まりましたね^^

こうして『Bar Sekirei』という店名が誕生したわけです。
「Mind Trick」の名残はお店のBGMと、そのBGMの中にジェイミー・カラムの曲が多く入っていることで感じられます。

さて、ここで「Sekirei」についてはもうひとつ派生的な質問をよく受けます。これは秋葉原特有の質問です。

「アニメの『セキレイ』から取ったんですか?」

正直に申しますと、ずっと以前から、、お店をオープンする前からアニメも漫画も「セキレイ」は大好きです (〃ノωノ)
アニメ「セキレイ」1期のオープニング曲とか聴くとすごく元気が出ます。大好きです。

「じゃあ、実はやっぱりアニメ『セキレイ』から名前を決めたのでしょ?」

・・・・・・・・・。ご想像にお任せします!<( ̄ω ̄)>

追記:2017年1月10日
果たして真相は!?→コチラ