お店でよくある質問 その2~お店の場所に秋葉原を選んだ理由 Part3~


意外にこのネタ、長くなってしまいました^^;
すいません、『お店の場所に秋葉原を選んだ理由』の「Part3」です。

当時の私にとって前例のない秋葉原で出店するということはギャンブルでしかありませんでしたが、何かそういったギャンブルをしてもいいと思えるぐらいの、背中を押してくれるようなことはないものかと思っていました。

そんな時に私はTwitter上であるつぶやきを発見します。
“秋葉原にバーが欲しい。萌え萌えなバーではなくて、腰を据えてアニメやゲーム業界について語れるような落ち着いた雰囲気のバーが。”
といった内容だったと思います。
このつぶやきに対し賛同するリツイートが何件かついていることに気が付きました。その中には大手の秋葉原情報サイトも含まれていました。

「もしかしたら、わずかながらでも需要は産まれているのではないか?」
なんとなくそう思える内容でした。
そして、ちょうどその頃秋葉原でテナント募集の物件を見つけます。
当時は普段から秋葉原に行くたびに散歩がてら物件がないかと歩き回っていました。
そこへひとつの物件に目が止まりました。
昼なのに人通りも少なく、どう見ても商売するのには向いている物件とは思えなかったのですが、オーセンティック・バーだけという視点であらためて見てみた場合、何か光って見えるものがありました。

そこで、バーのインテリアデザインにおいては長いキャリアを誇る先生に実際に現地に来てもらい、その結果意外なほどに高い評価を得ることができました。あまり空き物件の出ない秋葉原において、これはまさに天命かと思いました。
自分にとっては最適な物件が見つかり、わずかながらの需要を感じられるようなツイートも見ました。
なんと私はたったこれだけのことで未開だった秋葉原の出店を決意するに至ったのです。
成功するなんの正当な根拠もない、まさにこれは大きな「ギャンブル」でした。
当然、決意を告げてもまわりは相変わらず「反対」でした。
しかしながら最後は私の熱意に押しきられる形で了承してくれました。このことは本当に感謝しています。
今までオーセンティック・バーのなかった秋葉原に初めてお店を造るのだから自分が先駆者になってやろう、秋葉原を熟知した自分がダメだったら他に誰がやっても成功しない、という意気込みで周囲を説得しました。

2011年4月のオープンをめざし、その年明けから準備に動きました。
ところが、ここで大きな障害が発生します。
それが東日本大震災でした。
これは準備していた私にとって大きな打撃でした。
世間的にとてもお酒を飲むような状況にはしばらくならないだろうと思い、いったん全てを白紙に戻しました。
どうしてこんな大事な時にこうなってしまったのか、運の悪さを呪いました。
ですが、ここで私は秋葉原の底力というかパワーをあらためて知ることになります。

震災直後であっても秋葉原には限定品などを買い求める人たちの行列ができ、消費に陰りがあまり見えませんでした。
確かに節電のためエレベーターやエスカレーターが止まったり、派手なビルの電飾が消えてしまっていたりしてそういう点では街全体に元気がなかったかもしれません。
ですが、秋葉原に訪れる人たちの顔を見るとそんなに悲壮感は感じられなかったのです。いや、むしろ元気というべきでしょうか。
このことに少々呆れたりもしましたが、その一方でとても頼もしくも感じられました。
その時に「秋葉原はなんてパワーのある街なんだろう」と再認識させてくれたのです。
5月のゴールデンウィークになると秋葉原はほぼ元の元気さを取り戻していました。
そこで私は白紙に戻していた出店準備を再開することにしたのです。

秋葉原という街にはいつもパワーをもらっている気がします。
最近「シャッター商店街」とかが社会問題になったりしていますが、秋葉原という街にはそんなマイナスの雰囲気が一切ありません。
この街で商売しているだけで元気をもらえる気がします。
それもお店の場所に秋葉原を選んだ大きな理由です。
私にとっては秋葉原という街全体が「パワースポット」であり、そしてここに訪れる「秋葉原の住民」たちがとても好きなのです。

オーセンティック・バーも「カウンター業」なのでお店に訪れるお客さまとの距離はどうしても近くなります。
銀座のバーではお客さまとの会話は時事ネタをはじめ政治、経済、株価の話しばかりでしたが、正直私には退屈でした。
しかし、モンスターハンターやタイバニやまどか☆マギカの話しなら何時間でも出来てしまいます(笑)。
やはり商売をするなら、自分の好きな土地、好きなお客さまが多く集まる場所でやったほうが有利だと思っています。
おそらくオーセンティック・バーのバーテンダーで、今秋葉原でそれが出来るのは自分だけだと思っています。
そのぐらいの自信と、秋葉原でずっとやり続けるんだという覚悟、そして開拓者としての誇りをもってこの土地でやらせていただいております。

秋葉原という街は常に変わり続けている印象があります。
5年も経つとお店が変わっていたりして周囲の雰囲気が一変することがあります。きっと、今から5年後もだいぶ変わってしまうのでしょう。
そんな街でひとつの商売をずっとやり続けていくというのはもしかしたらとても困難なことなのかもしれません。
初期費用をあまりかけず、すぐに撤退できるような商売が秋葉原では特に多いというのも特徴かもしれません。
しかしながら、オーセンティック・バーは容易に撤退することができません。10年後、20年後もやり続けなければならないお店です。
潮の流れにたとえれば急流であろう、この秋葉原であえてオーセンティック・バーをやることの意味は、「変化があたりまえの街であえて不変を創る」というチャレンジ精神に他ならないと思います。

たとえばひとりのお客さまが環境の変化で秋葉原から5年間離れてしまったとします。5年後秋葉原に戻ってみるとおそらく記憶していた景色とだいぶ違っているかもしれません。
でも、そんな時に“Bar Sekirei” だけはいつも変わらぬ灯りを点している、自分が秋葉原に戻ってきたことを実感させホッとさせてくれる、そんな場所であり続けたいと考えています。
航海に出た船がいつ戻ってきてもいいように常に灯りを照らす秋葉原の「灯台」であるべきだと思っています。

正直、オープンから3年経った現在でもオーセンティック・バーに通うお客さまが満足のいくほど増えたかというと、それはまだまだだとしか言えません。相変わらずとても少ないお客さまを相手にしているのが現状です。今後もこの厳しい状況は続くかと思います。
それでも、

「大好きな秋葉原でバー文化を根付かせる」

先駆者の使命として、これからもこの街でやっていきたいと思っています。

Part3にまでわたった今回のブログを読んでいただき誠にありがとうございました。

次回のブログのテーマは特にありませんが、他に何か質問してみたいことがありましたら気軽にお問い合わせフォームにてお書きくださいませ^^